死に場所の選び方

いきなり「死に場所」などと書いてしまいましたが、なにも不吉な話しをしようとしているわけではありません。

今の世の中は多くの人が病院で最後を迎えます。その事を当たり前に思っている人も最近では多いのですが、ほんの数十年前まで人は自宅で死ぬのが当たり前でした。

それで何の不都合もなかったのですが、医療の進歩と核家族化の影響などもあり気がついたら病院で最後を迎えるケースが圧倒的に多くなっているのが現在です。

そんな中、最近では当の医師達から良い死に方をしたかったら医療と関わるなという声が聞こえてくるようになってきました。

その理由ですが、医療が進歩したお陰で本当は死なせてあげるべきなのに死ねない状況を医療が作り出してしまうからです。

強心剤を打ち人工呼吸器をつけられ点滴やカテーテルを挿入されて、意識が戻る可能性もないのに肉体だけが強制的に生かされている状況の悲惨さが徐々に知られるようになると共に、医師達の中からも本音が聞こえてくるようになりました。

先日読んだ本に面白い事が書いてあったのですが、自宅で死ぬと決心したなら、何があっても救急車を呼んではいけないと書いてありました。

そんな事をすると強制的にあらゆる延命措置や治療を施され死ぬに死ねない状況を招きかねないというのです。

なるほどそうだなあと納得してしまいました。勿論、回復する見込みのある場合はきちんと治療を受けなさいとも書いてありましたが、末期ガンで余命いくばくもない事が分かっているのに、最後の最後に家族が不安になって救急車を呼んでしまいひどいめにあった例なども書いてありました。

実はこれと似た体験を私も母親の時にしていまして、母は末期の大腸ガンで余命宣告されていたのですが、当初は自宅で死ぬのが本人の希望でした。

しかし最後の最後に自分で入院すると言い出して、結果的に全身管だらけにされたあげくに意思の疎通も出来ない状況にされた中で亡くなっていきました。

(こちらに詳しく書いています)

ちなみに父もガンで亡くなりましたが、そんな母を見ていたこともあり、最後まで自宅で踏みとどまり亡くなる前の晩にも好きなアルコールを口にして夜寝ている間に亡くなりました。

どちらが人として尊厳のある安らかな死に方だったかと聞かれたら、私は迷わず父の死に方に軍配をあげます。

母が入院すると言い出した一番の理由は不安だったと思うのですが、もし母が病院での悲惨な死に方を少しでも具体的に知っていたなら入院するとは言わなかったのではなかったかと思います。

そう考えると、人は普段から「死」というものに対して目を背けず、しっかり向き合って考えておくべきだと思います。

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