自宅で死ぬ事の幸せ

私は現在50代後半で両親はすでに鬼籍に入りましたが、母と父、全く対照的な看取りを経験しましたのでその事を書いてみたいと思います。

母親は70歳頃に大腸ガンが見つかり2度の大きな手術を経て人工肛門となり、最後は病院のベッドで強い薬のせいでコミュニケーションもままならない状態で亡くなりました。

一方父も同じくガンだったのですが、見つかったときには年齢も80歳を超えており、ガンが見つかった場所も膵臓だったことからお医者様も手術を勧めませんでしたし父も積極的な治療は希望しませんでした。

私もその方針に賛成でしたので、その場で近所の掛かりつけ医に宛てて手紙を書いていただき在宅での治療を選びました。

母も最初の頃は自宅で死ぬと言っていまして、まだ人工肛門でなかった頃は徐々に元気を取り戻し、外出などもする様になっていました。しかし最初の手術から2年程経った頃に大腸に癒着があるからと二度目の手術をすることになり、その際に人工肛門を付けたのですが、これが精神的にも実際の生活の点でもかなり負担になりました。

それ以降、自宅にこもるようになり外出をしなくなった様です。精神的にも落ち込むことが多くなり、同居する父が家事の出来る人ではなかったので、家事の負担も徐々に重く感じるようになり、とうとう自宅での療養をあきらめ自ら入院を選びそのまま病院で亡くなりました。

一方父は、母が亡くなってから約8年間も独り暮らしをしていたのですが、体調に不安を感じるようになった事で私が一時的に同居して世話をすることになりました。

同居した頃はまだガンも見つかっていなかったのですが、体重が落ちてきたことも気になっていたので、掛かりつけ医に紹介状を書いていただき大きな病院で検査を受けました。

そうしましたら膵臓にガンが見つかったのですが、治療をせずに自宅で暮らす事を選んだのは先に書いた通りです。

当時の父はもう80歳を超えていて自分でもいよいよその時が近づいたなという自覚もあった様です。それと母の状況も間近で見ていましたので、治る見込みもないのに辛い治療を受けて日常の生活が出来なくなるより日々それなりに暮らして行ければ良いという考えでした。

結果的に、私が同居をはじめて一年と半年で希望通り自宅で亡くなりました。

亡くなる前日の夕食でも好きなアルコールを飲んでいましたし、最後まで私と会話も出来ていました。確かに体は辛そうでしたが、掛かりつけ医の先生と相談しながら何とか最後まで自宅で暮らす事が出来ました。

一方母の方は、亡くなる1ヶ月以上も前から薬のせいでコミュニケーションが取りづらくなり、ベッドから動くことも出来ず亡くなりました。入院している状況で我々が何か出来るわけでもなく、見舞いに行ってもただ話しをするだけなのですが、その話しさえも出来ない状態で亡くなったのは我々も何だか心残りでした。最後に交わした会話も、薬でおかしくなった母との会話でしたので、まともな時期にちゃんと会話したのがいつだったか思い出せません。

父の場合も母の場合も自分で選んだ場所で亡くなったことにはなるのですが、個人的には母も自宅で死なせてやりたかったと思います。母の時にはそうした状況を作ってやれなかった事が悔やまれるのですが、母のことがあったので父の時に思い切って同居の決断も出来たわけですし母のお陰で父が自宅で死ぬことが出来たのかなとも思います。

父も最後の一月くらいはほとんど何も食べられなくなってはいましたが、それでも一日三度私が用意した食事に少しだけでも箸を付けてくれました。

亡くなる前の晩も食事をしながら話しをし、いつもの通り寝る前に私が体を拭いてやりベッドまで連れて行き寝かせました。

そうして翌朝起きてみたら亡くなっていたのですが、世話をした私の方もやり切った感がありましたし、父も安らかな顔をしておりましたので安心して旅立てたのではないかと思います。

今度は自分があの世に旅立つ番になるわけですが、私も出来れば父のように自宅で死ねればそれが一番だと考えています。母の時に感じた病院の寒々しい空気の中で死ぬのは嫌だなあと思う今日この頃です。

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