祭りの後の寂しさ

もう何度か書いていますが、私は大変な田舎で育ちました。田舎の場合、高校までは自宅から通える範囲にありますが、大学や専門学校となると通える範囲にはありません。

就職先も安定して働ける大手企業などはありませんから、多くは高校を卒業すると一度実家を離れるのが普通です。

私も高校を卒業すると同時に大阪に出まして、以降ずっと大阪で暮らしています。

ただ、これも何度か書いていますが、ほんの数年だけ父親の介護をするために実家に戻って暮らしていた時期があります。

実はその時に気づいたことが色々ありまして、今日はその事をひとつ書いてみたいと思います。

実家を離れたと言ってもお盆や正月は帰省しますし、ゴールデンウィークやそのほか休みが取れたときなどちょこちょこ実家には帰っていました。

ですので田舎の町の様子とか暮らし向きとかそれなりに知っている積もりでいたのですが、時々帰省して見る故郷と、実際に暮らしている中で見る故郷の違いには驚いてしまいました。

特に感慨深かったというか、気づかなかったのはスーパーで売っている商品についてです。

いつも帰省すると、その日の夕食の買い出しには私が出かけていたのですが、お盆や正月というのは都会の人口が減って田舎の人口が増えている時期です。

田舎のスーパーも何となく活気がありまして、惣菜コーナーにも沢山の商品が普通にありました。特に大人数でのパーティー用と思われる商品も充実していて、一番目立つ場所にそうした商品が沢山置いてありました。

ところがこうしたパーティー用の商品が田舎のスーパーに並ぶのは、お盆や正月だけのほんの数日間だと言うことを田舎で暮らしてみて初めて気づきました。

普段の田舎のスーパーというのは、あまり活気もなくお客さんも年寄りが多く、都会のスーパーの様に親子連れがカートに子供を座らせて買い物する様な光景はなかなか見られません。

惣菜コーナーも少人数向けのパッケージしか無く、店内の雰囲気もお盆などとはまるで違う寂しさです。

その事に気づいたときに、父親を何年も実家で独り暮らしさせていた事が急に可哀想に思えてきたことを覚えています。

私は父を介護する目的で帰っていましたので、当時は仕事も自宅で出来る様にして父がいる部屋の隣でパソコンを使って仕事をしていました。

ところが私が帰って最初の頃はいつも父が私の仕事部屋に来てしまい、何かしら話しかけてきます。

まだ介護生活に慣れていない私はイラッとしてよく父と喧嘩をしてしまいましたが、父にしてみれば息子が帰ってきてくれて嬉しかったのだと、今になって思います。

子供の頃、田舎での一番の楽しみは「お祭り」でした。

街中に出店が並び沢山の人であふれる「お祭り」は、子供にとってしばしの非日常を味わえる瞬間でした。

私が大阪で暮らしながら帰省して垣間見た田舎は、このお祭りの風景にすぎなかったと、スーパーの商品を見て気づいた次第です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です