自分の老後とお世話と迷惑

自分の老後に関して将来的にどう考えていますかといった話しが出たときに、「子供の世話にはなりたくない」とか「子供に迷惑は掛けたくない」といった答えが良く聞かれますが、今回はこの事についてちょっと考えて見たいと思います。

確かに人間誰しも他人に迷惑を掛けることはしたくないですし、相手が自分の子供だからといって迷惑をかけていいわけでもありません。

しかし実際に自分が要介護状態になった場合に、必ず誰かの「世話になる」必要は出てきます。一人で生活が出来ないので「要介護」なわけですから。

さて、ここで考えて欲しいのですが、世話になることは果たして迷惑な事なのでしょうか。

世の中全体がどんどん核家族化して行き、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らした経験の無い人が大多数になっていく中で、世話をした経験の無い世代が世話をされた事のない世代を介護する社会がすぐ目の前に来ています。

ほんの数十年前まで、日本では三世帯以上同居する大家族が当たり前でした。私が育った家も祖父母は勿論、曾祖母も同居する大家族でした。そんな家庭では日常の色々な場面で年寄りが子供や孫の手を煩わせるのは当たり前の事でしたしその逆も勿論ありました。

これは決して迷惑を掛けているのではありませんし、子供の方も迷惑だなと思ってやっているわけでもありません。まあ面倒くさいなあとは思っていましたけど…。

例えば、ちょっとしたモノを動かすのでも年寄りには出来なかったりするので近くにいる家族に頼む事になります。買い物に町まで行きたいが一人では不安だからと同行を頼まれたりもします。

こうした事はお互い様で成り立っている世の中では当たり前の行為であり決して迷惑行為ではありません。頼まれた方もちょっとした事で感謝されますし悪い気はしないどころか逆に良い気分になることさえあります。

そうしていずれ要介護の状態になるわけですが、だからと言って存在そのものが「迷惑」なわけでは勿論ありません。

だから遠慮無く「お世話」になれば良いと言うのが私の考え方です。

実際にそうした場面になりますと、世話をする方も不慣れなら世話をされる方も不慣れです。ずっと核家族で育ったならば尚更です。

しかし徐々にお互い慣れてきます。

ここで私の経験を少しお話しします。私が父を実家で介護していた時、とうとう下の世話が必要になったのですが、世話をされる父はやはり恥ずかしそうでした。私もどうすれば良いか分からないなりにやるしかありませんでしたので、とにかく無言で汚れ物を取り替えたりお尻をきれいにしたりしていました。するとそのうちに父が私に対して感謝の念をハッキリと表すようになりました。

これは世話をした人だけに与えられる勲章の様なものです。決して迷惑を掛けられたのではありません。世話を掛けた父の方も家族に「支えられている」といった実感を持てたのではないでしょうか。だから素直に感謝の言葉が口から出てくるようになったのだと思います。

こうした経験があるので、私は「介護」というものは自宅でする(受ける)のがやはり一番だと思っています。

もちろんそれが物理的に環境的に許されない場合は仕方ありませんが、最初から「施設ありき」で考えるのと、まずは自宅でそして家族でという事を大前提に考えるのとでは、介護されるご本人に伝わる愛情も変わってくるのではないでしょうか。

そして出来れば、日々のお食事も家族皆と同じ物を食べさせてあげて下さい。
台所から美味しそうな肉じゃがの香りがしているので「今日は肉じゃがが食べられる」と思っていたら自分だけ宅配の介護食だったらがっかりすると思いませんか?
味気ない食事は生きる気力を奪う凶器にもなりえます。

そうして今度自分が介護される側になった時には、遠慮無く世話になりましょう。決して迷惑を掛けているのではないんです。

お世話をしてくれる家族や友人に心からの、そして最大限の感謝を表現してあの世に旅立とうではないですか。

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