孤独とわがままと涙

 

 

私が働いていたサービス付き高齢者住宅での話しです。

サービス付き高齢者住宅、いわゆるサ高住と呼ばれる施設は全国に沢山ありますが、法的には賃貸住宅に位置づけられ介護施設ではないと言うのが建前になっています。(勿論、実態はそうではない場合も多いです)

ですので入居者の方も比較的お元気な方が多いのですが、月々の家賃も一般の介護施設に比べると高くお金持ち向けの施設といってもいいかもしれません。

とりあえず私が働いていた施設は完全にお金持ち向けのサ高住でした。

そのせいかどうか、中にはいつまでも現役時代のプライドが捨てきれず同じ入居者の輪に入っていけない方も時々おられました。

今日お話しするのは、そんなプライドが捨てきれないある男性のお年寄りの話です。

だいたい問題のある入居者さんというのは、入居されてすぐにその本領を発揮されますので噂はすぐに聞こえてくるのですが、その方は入居されて半年以上も経っていたのに特に注意する点があるといった話しは聞いていませんでした。

私は調理師として働いておりましたのでたまたま食事方面でのクレームが無かったからかもしれませんが…。

ところがある朝、朝食でお出ししたご飯が「いつもの味ではない、これは一体いつ炊いたものなんだ。」と苦情を言っているとホールの方が伝えにこられました。

しかも相当怒っているとも言うんです。

私はホールの方に対して、ご飯は今朝出勤してから私が炊いた物で、炊きたてをお出ししています。お米も炊き方も使った鍋もいつもと同じですよと伝えました。

ホールの方はすぐさまその事を入居者の男性に話しに行ってくれたのですが、結局その男性の機嫌は直らず調理師を呼べとなり、私がその方のテーブルまで出向いて話しを聞くことになりました。

私は先ほどホールの方に話したのと同じ内容の事をその男性にお話しした上で、具体的に今朝のご飯のどこがお気に召しませんでしたかと尋ねました。

するとその男性は苦笑いを浮かべながら首をひねりました。

そして「言葉には出来んよ。とにかく違うんだ。君の言っていることが嘘だとは思わんが違う物は違うんだ。」とおっしゃいました。

それで私は質問の仕方を変えて「味が変でしたか?それとも香りですか?堅さですか?」とそれぞれ項目に分けて質問してみました。

それでもその男性の答えは同じ「言葉には出来ない」でした。

そんなやりとりをしばらく続けて結局あまり納得されないままその場は収まりました。

これが街場のレストランであれば、そのお客様は次の日から来なくなるだけで終わる話なのですが、施設では同じ人が毎日食べ続けます。何か問題があれば必ず解決しておかないとその人に対して苦痛の日々が続くことになってしまいます。

そこで私はその男性と接する機会の多いサ高住の介護福祉士さんにその方に認知症はあるか尋ねてみました。答えは「無いはず」でした。

ただとても神経質な面があるのと、どうしてもプライドが邪魔して入居者さん達の輪に入っていけない。本人は友達になりたいと思っているのに自分から話しかける事が出来ないのでその事で周りに八つ当たりすることがある様でした。

ご飯の件も、そういうちょっとした不機嫌のはけ口になったのかもという事になりこの件は終わりとなったのですが、最後にちらっと聞いた話しがなんだかとても可哀想で印象に残ってしまいました。

実はその男性、夜になると時々寂しいと言って涙を流しているんだそうです。

人生の最終盤にさしかかり、そんな風に涙を流すと言うことは自分の過去にこだわりが強く残っている証拠だと思いますが、やはり精神的にポジティブな状況でないのは確かです。

そのサ高住に入居しているという事は、一般の方から見てかなり裕福な人であることは確かです。他の入居者の方も例外なく死ぬまでお金には困らない方達ばかりでした。

しかし、お金では埋めようのない寂しさを抱えて一人その施設で暮らす日々…。

はたしてそれが豊かな老後と言えるのかどうか…。

私にとって人はどういう老後を目指すべきなのか考えさせられる経験になりました。