死ぬための介護と死生観

先日、漫画家の鳥山明さんと声優のTARAKOさんが相次いで亡くなるという事がありました。特に鳥山明さんの死亡に関しては世界的なニュースになりましたね。

今はSNSがありますので、海外で実際にどの程度のニュースになっているのか確認出来ます。それによると、現代のポップカルチャーで鳥山明さんの影響を受けていないものは無いのではかといった記事まで目にしました。フランスのマスコミに出た記事を和訳した記事でそんな事が書いてありました。

そんな中、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」がアメリカのアカデミー賞を受賞したというニュースも聞こえてきました。

日本が生んだアニメや漫画は今や世界に多大な影響力を持つ様になっています。

理由は様々にあるのでしょうが、一つには日本人が伝統的に培ってきた死生観の様なものが作品に色濃く反映されているからではないかと個人的に思っています。

日本にはキリスト教やイスラム教に影響されない、外国の方から見て独特の死生観があると思うのですが、そこにある一種の潔さの様な物が作品の根底に流れているからこそ、多くの外国の方にはそれが新鮮に感じられるのかなと思ったりします。

ところがですね、生きる事にも死ぬことにも潔さを良しとするはずの日本人の価値観は、今やアニメの中だけになったようで、介護の現場ではその真逆の光景が日々展開されています。

これは前にも記事にしたことがあるのですが、例えば寝たきりの方の痰の吸引に関して、日本では普通にマメに看護師さんがやってくれますが、ヨーロッパでは自力で痰の排出が出来なくなったらそれは死ぬときが来たと言うことだとして積極的にはそうした事は行わないそうです。

特に口から食べられなくなったお年寄りに対して点滴や胃瘻などで延命する事は、死にゆく人を苦しめるだけだという認識があると聞きます。

また、介護施設や病院で今では当たり前の様に使われている食品添加物のトロミ調整剤も、より良く人生を終えるのに役立っていないどころか、残された食事の時間を台無しにしていないかと個人的に思っています。

これは嚥下能力が衰えた方に対して、食事がスムーズに飲み込めるように使うのですが、実際の介護の現場では、特に嚥下に問題なさそうな人に対しても使われている場面を度々目にします。

誤嚥を防ぐ意味でこれは便利なものには違いないのですが、実際に誤嚥性肺炎を起こす段階にあると言うことは、もう寿命が来たという事です。

それよりもトロミ調整剤など使わない、美味しい食事を毎日食べさせてほしいと、私が要介護の年寄りなら思います。

歳を取って要介護になって死ぬという事は、事故や災害で死ぬのと違い、天寿を全うして旅立つわけですから、悲しむことでもないですし、むしろ自然な事だと思い出す必要があるのではないでしょうか。

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