私が在宅で介護生活を送っていた頃、正直に言って早くこの生活が終わって欲しいと思ったことが何度もありました。つまり早く死んで欲しいといった感情が頭をよぎったわけですが、これは介護をする中で誰でも必ず経験があるのではないでしょうか。
自分のしんどさからそういった気持ちが起こることもありましたし、介護される父があまりにも辛そうでそう思ったこともありました。
しかし人間はよく出来たもので、介護生活にもだんだんと慣れてきますし、目の前の家族が近い将来死ぬという事実を知らぬ間に受け入れている自分にも気づきます。
私はこの「死を受け入れて介護する」という事が、介護される本人のQOLを向上させる大きな要素だと思っています。
理由は要介護のお年寄りにとって、医療と積極的に関わる事が必ずしもその人のQOLの向上に繋がっていない事実を沢山見てきたからです。
これは介護施設で働いていると実感する事なのですが、介護施設のお年寄りが病院に入院すると、ほとんどの場合、入院前より元気を無くして戻ってきます。
具体的には、入院前は歩行器で歩けていたのが退院後は車椅子になったとか、普通食だったのが退院後は刻み食になったなどです。
もちろん入院しなくてもいずれその様になったのでしょうが、入院する事で残存機能が失われるスピードが速くなるのは事実だと思います。
一体何のために入院させるのか分からない現実があるのですが、施設の場合は常に医療と連携しながら運営されていますので、検査の結果が悪ければ入院となるのは致し方ない面があります。
しかし在宅介護の場合、介護する側の心づもりで医療との関わり方は随分と変わってきます。
私の場合、父は死期が近いことをはっきりと自覚していましたので医療との関わりも父の意向を最優先していました。つまり私から見て辛そうでも、父が大丈夫と言えばあわてて医者に連れて行く事はせず、定期の往診の時に私から掛かりつけ医に状況を報告するに留めていました。
もちろん、父の意向を無視して医師に電話で相談した事は何度もありましたが、すぐに連れてきなさいと言われたことは、多分一度もなかったように思います。
それでも亡くなる前の1ヶ月くらいは何度も入院を勧められましたが、父の強い意向で在宅介護で通しました。
結果的に、私はそれで良かったと思っています。亡くなる前日まで、毎日一緒にご飯を食べることが出来ましたし、亡くなる前の晩も父は好きなチューハイを飲むことが出来ました。
入院していたらとても出来なかった事です。
自分の死を受け入れて淡々と最後を生きる父の姿を見て、私もいつの間にか父の死を受け入れて生活していました。
そうして最後は、本当に力尽きる感じで亡くなったのですが、そんな見事な最後を私に見せてくれた父には感謝の念しかありません。
今度自分が死ぬときになって、あんな風に覚悟を決めて生きていけるか…。
息子達に良い死に様を見せてやれる様に自戒しながら生きていきたいと思います。