老人ホームで生きると言うこと

私は仕事の関係もあり、いわゆる老人ホームと呼ばれる施設に頻繁に出入りしています。

当然そこには様々な状況にあるお年寄りたちが暮らしています。

私は介護士として施設に出入りしているわけではありませんので、お年寄りたちの個人的な情報や詳しい健康状態などは知らされていませんが、やはり心の部分も含めたその方の健康状態というのはある程度こちらに伝わってきます。

当然ですが、幸せそうに暮らしている方もいれば、全くそうではなさそうに見える方もいらっしゃいます。

こうした違いは一体どこから生まれてくるのだろうと考えた時に、やはり「覚悟」が出来ているかどうかの違いが大きいのかなと感じます。

つまりこう言うことです。

不幸せに見える方の多くは、多分「仕方なく」その施設に入ってこられたのではないでしょうか。

例えば、独り暮らしだった方が段々と日常動作が難しくなって行く中でついに施設に入らざるを得ない状況に追い込まれた場合などです。

この場合は、気ままな独り暮らしに未練がありますので、自分の不自由になってしまった体を不満に思いますし、意識が自身の体の「失われた機能」にフォーカスしていますので不満が次々と出てきます。

一方、日常動作が徐々に難しくなるのは加齢によるもので仕方ないという割り切りが出来ている方は、体の「残された機能」に意識がフォーカスしますので、今出来ることに対して自然と「ありがたい」と思えるのではないでしょうか。

車椅子を例にあげると、前者は車椅子での移動になってしまった自分を情けないと責めるでしょう。以前は歩いてトイレにも行けたのにと、トイレに行くたびに思うかもしれません。

しかし後者は歩けなくなってしまったけど車椅子があるお陰で移動が出来ると感謝するのではないでしょうか。トイレに行くたびに車椅子でも入っていける施設のトイレをありがたく思かもしれません。

先に「覚悟」と書いてしまいましたが、ポジティブとネガティブの違いと言う方がしっくりきますかね。

いずれにしても老人ホームと呼ばれる施設で暮らす場合は、ある程度プライバシーを犠牲にしつつ日常の生活を介助してもらう必要があります。

そうした時に、その状況をしっかり受け止めて前向きに生活出来るかどうかが、その人の幸福度を決めてしまうことは間違いありません。

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