今日の食事が最後の食事

お年寄り向けの介護施設で働いていると、時々誰かの「死」と遭遇することがあります。

いわゆる「老人ホーム」の暮らしの中では「死」は日常と言ってもいいかもしれません。

私は調理師ですので、施設で提供する料理を作るのも仕事な訳ですが、自分が作って提供した料理が亡くなった方の人生最後の食事になってしまう事は当然あります。

実はつい先日もそんな事がありまして、そうした事がある度に、気持ちを込めた仕事をしなければと思い、身が引き締まります。

お年寄りに限らず、人間誰しも明日の今頃生きている保証はありません。

そうであるなら今日食べた最後の食事が、誰にとっても人生最後の食事になってしまう可能性は常にあるわけです。

ただ、お年寄りはその確率がグンと高いだけ。

こうした事を思うとやはり「今」という無限の瞬間をいかにしっかりと生き抜くかが人生を充実させる為のたった一つの真実だと思います。

よく日本の神道には教えがないと言いますが、それは教義や経典がないだけで教えの様なモノはありまして、そのひとつに「中今(なかいま)を生きる」というのがあります。

これはまさに先に記した今という瞬間をしっかり生きなさいという教えなのですが、欧米の有名スピリチュアルリーダー達も言い方は違いますが、同じ様な事を言っています。

特にエックハルト・トールはその事を熱心に説いていますが、大切な事は洋の東西を問わず同じなんだなと思います。

先日、歌手の谷村新司さんが亡くなったというニュースが流れてきました。

記事によると急性腸炎が原因で体調を崩し、そのまま回復せずに亡くなった様ですが、最後に食べた「普通の食事」はどんなだったのか。

恐らくご本人もその食事が最後の「普通の食事」になるとは思いもよらなかったと思います。

急性腸炎ですから、ある時を境に急激に体がおかしくなったのでしょうし、腸の病気ですから中々普通の食事をさせてもらえなかったでしょう。

そう思うと益々、普段何気なく食べている食事にもっと感謝の念を持つべきだと思えてきます。

もちろんそれがマクドナルドのハンバーガーや立ち食い蕎麦だとしてもかまいません。

ただ、ハッキリと感謝の念を持って目の前の料理を頂く事が大切なのだと思います。

その時に、次は何食べようかなどと考えずに、目の前の食事が最後になるかもしれないと、うっすらでも思いながら食べると更に感謝の念が深まるかもしれません。

私の関わる施設で昨日まで元気だったお年寄りが亡くなったのと、谷村新司さんの訃報に接した事もあり、こんな記事を書かせていただきました。

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