介護とプライド

当たり前の話しですが、介護されている人は他の人を介護しません。老老介護という言葉がありますが、お互い介護しあう訳ではなく、どちらか片方がもう片方を一方的に介護する状況が老老介護です。

高齢の夫婦がお互いに助け合う事で成り立つレベルの生活なら、それは自立出来ている状況になりますので要介護とは少し違います。

ところで介護される人にとって、一番気を使わなくて済むのはやはり伴侶と呼ばれる人になる気がします。

妻であったり夫であるわけですが、これが血は繋がっていても自分の子供や孫になると中々最初は気を使うものだと思います。

特にシモの世話が必要になった場合に、子供や孫であっても最初は世話をされる事に抵抗を覚えるのが人情だと思います。

そう考えると、血の繋がっていない「夫婦」という関係は本当に不思議な関係だと思います。

私が実父を介護していた時に、最後の方はシモの世話が必要になったのですが、やはり最初は世話をされる事に抵抗があったようでした。

しかし何度も下着を汚したりトイレを汚したりを繰り返す内に、オムツを着けてシモの世話をされる事を受け入れるようになりました。

その頃に父がよく口にしたのが「情けない」という言葉でした。

下半身を拭いている間中、ずっと「あぁ情けない、情けない」と言っていたのを覚えています。

ところがいつの頃からかその「情けない」が、関西弁でありがとうを意味する「おおきに、おおきに」に変わりました。

私が下半身をキレイにしてオムツをあてている間、ずっと「おおきに、おおきに」「すまん、すまん」と言う様になりました。

人の感情はプライドと結びついています。プライドを高く持つことは悪いことではないのでしょうが、要介護になった人にとって邪魔になるのもプライドかもしれません。

父の場合、「情けない」と言っていた頃はプライドが感情を傷つけていたのだろうと思います。

しかし「おおきに」と言い出したあたりから、良い意味でプライドを捨ててくれたのだと思います。

介護される事に素直に感謝の念を表すようになりましたし、介護する私もその頃から介護する事を精神的には負担に思わなくなりました。

もちろん、どんどん介護の負担が増えていく状況は物理的にしんどかったですが、気持ちは前向きに父と向き合うことが出来る様になりました。

介護する方もされる方も、邪魔なプライドは持たない方がお互い幸せになれると思います。

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