以前読んだ本にこんな事が書いてありました。人の寿命は重要な臓器のどれかが壊れたときに尽きる。壊れるのが心臓なら死ぬし肝臓でも死ぬ。ところが脳だけは死なずに認知症になって生き続けると。
本のタイトルも著者も忘れてしまったのですが、この部分だけ妙に印象に残っていて覚えています。
確かに内蔵に色々不調が起こるのは生活習慣と加齢による老化が原因です。人の体全部が均等に老化していけば問題ないのかもしれませんが、実際には老化に生活習慣が影響を与えていびつに悪くなっていくのだと思います。
心臓の老化が早い人は心臓の病気で死に、脳の老化が早い人は認知症になって生き続けるというのは納得出来るなと思います。
ところで私の周りの人に話を聞いても、認知症にだけはなりたくないと言います。
どうも認知症は他の病気と違って何かしらの「不安」な感情を強く人に与えるのかなと感じてしまいます。
私は調理師ですので介護士さんの様に沢山の認知症の方と直に接する事はないのですが、それでもお年寄りの施設に出入りしていると一般の方よりは多くの認知症患者さんを目にします。
先日も調理の仕事で行った先の施設で、認知症の方が自分の食事が終わったあとで、隣の人のお膳にも手を出して食べようとしているシーンを見てしまいました。
やっている本人はいたって無邪気に、ただそこに食べ物があるから手を伸ばしただけなのでしょうが、突然横から手が伸びてきたらそれは驚きます。
こういった事をする人になりたくないと思うから認知症だけは嫌だと思うのかもしれませんが、やっている本人はそうした普通の価値観を超越した世界で生きているわけですから、本人的には幸せなのかもしれません。
こんなシーンも見た事があります。かなり高齢の女性だったのですが、若い頃に誰かを介護した経験があったのでしょうか。あるいは看護師などの仕事をされていたのかもしれません。
この方、移動が大変そうな人を見るといつも近づいて行って何かしら介助しようとします。
しかし当の女性も高齢で足腰が定まらず介助すればかえって危険ですから、介護士さんがいつも目を光らせていました。
ただ、介助に向かう当の本人はおそらく使命感に燃えて人の役に立ったと感じていたのではないでしょうか。本人的には幸せな毎日を送っているのかもしれません。
そう考えると認知症になるという事は決して不幸な事ではないと思うのですが、これっておかしな考え方なのでしょうか。
逆に頭だけはしっかりしているのに足腰は悪くなり、あちこち痛くなったり動かなくなったりする自分の体を為す術もなく受け入れて生きていくのは、しっかりしている分辛いのではないかと思います。
ボケるのが不幸なのかそれともボケないのが不幸なのか。色々と考える今日この頃です。