介護施設に入居しているお年寄りの「幸せ度」は関わる介護士さんによって直接的に左右されます。
私は過去に介護士さんがお年寄りを叱りつけるシーンを何度も目にしたことがあるのですが、こういったシーンは何度見ても好きになれません。
勿論、介護士さんの気持ちも分かるのですが、やはり大きな声をあげるということは慎むべきだと感じてしまいます。
介護士さんがこうした行為に及ぶ原因のひとつに「管理」の問題があります。
介護施設では食事などのタイムスケジュールが決まっていますし、投薬の事もあります。
中々食事が進まない入居者さんに対してだんだんイライラが募るのは仕方ない面もあるのですが、いくら要介護のお年寄りであっても人としての尊厳を無視するような行為は慎むべきと思います。
こうしたシーンに出くわす度に感じる事は、やはり「介護」と「資本主義」は相容れないなあという事です。
介護という日常を商業ベースで民間企業にさせようとすると、当然利益を最大限にしようとします。この事は責められません。
サービス業で利益を出すためには、いかに労働力を効率良く使って経費を抑えるかになるわけです。しかし実際の介護というものは全てが個別対応ですから、画一的なマニュアルを作ってそれを現場に当て嵌めることは無理があります。食事の時間にしても、大まかには決められても本来は個人個人の体調や嗜好に配慮するのが理想です。
そうすると当然専門職としての技術を持った沢山の人手が必要になりますが、そうした経費を上乗せできるほどの料金を介護保険は賄ってくれません。
結果的にお年寄りに我慢を強いながら利益を出すしか方法がなくなってしまいます。
これはもう社会の仕組みを根本的に考え直すしかないといつも思います。
ただ、現場で働く介護士さんの中には、冒頭に書いたような介護士さんもいる反面、本当に細やかに素晴らしいケアをされる方も当然いらっしゃいます。
わがままばかり言って介護士さんを困らせる人に対しても、決して怒らず穏やかに介護に当たられている方などを見ると、自分もしっかりと愛情を込めて料理を提供しないといけないなと感じます。
そんな事もあって出来うる限り介護は自宅でするべきというのが私の変わらない考え方です。
自宅での介護がいかに大変なものか私も経験していますし、もちろん無理をする必要はありません。私も実際に介護をしている時には施設に入ってくれたらどれ程楽だろうかと考えました。しかし介護生活が終わってあとから思い出したときに、自宅で看取る事が出来たのは幸せだったしありがたかったとしみじみ思います。
確かに渦中の今はしんどいですが、介護をさせていただくという事は大きな人生経験としてのギフトを貰ったとも言えないでしょうか。
そんな大変な毎日に、私のつたない「特別ではない介護食・ユニバーサルレシピ」が少しでもお役に立てば幸いです。