孤食と共食、介護の場合

家庭で料理を作る役割をずっとこなしてきた方なら分かって頂けると思うのですが、料理の腕前というのは自分の為よりも人の為に作る事で初めて磨かれていきます。

全くの独り暮らしで特に料理が趣味でもない場合は、恐らく何年経っても料理の腕前は上がっていきません。

ある程度の事が出来る様になった段階でレパートリーも固定化され、同じパターンの料理をローテーションでぐるぐる回すだけになっていきます。

これは「作る」だけでなく「食べる」事に関しても言える事で、一人で食べる食事と誰かと食べる食事とでは、食べる食事の内容も変わってくるでしょうし実際に食べられる量にも影響が出てくるものです。

例えば冬場の定番料理「鍋」にしても、一人では作る機会が少なくなるでしょうけど逆に家族との食事であれば手間の掛からない鍋料理は作る機会が増えるものです。

鍋料理の良い所は色々なものがバランス良く摂れる事ですから、誰かと食べる事がそのまま栄養状態を良くすることにつながっていきます。

こうした事はお年寄りの場合特に重要で、妻に先立たれた男性などは放っておくと毎日コンビニ弁当になりかねません。

そう考えると、介護生活の中でも介護する人とされる人が一緒に食事をするという事は大切なのかなと考えがちですが、そこがそうでもないのが介護生活の難しい所です。

私も経験ありますが、介護生活というのは自分の生活や時間を相当犠牲にしながらの生活になりますので、自分でハッキリと自覚的に「プライベート時間」を確保しないと中々ストレスの発散が出来ません。

特に寝たきりでもなく、かといって目が離せるわけでもなくといった状態が一番辛いもので、正直寝たきりにでもなってくれた方が楽なのにと思ってしまう事は多々あります。

そんな介護生活の中で、一日三度の食事の時間は本当にあっという間にやってきます。

ついさっき食べさせたばかりなのにもう次の食事の準備をするのかと思うと突然食事を用意することが嫌になることも、私の場合ありました。

そうした場合に、自分の食事時間と要介護者の食事時間を別々にして、自分だけでゆっくり食事を楽しむことは介護生活を乗り切る上で良いことだと思います。

本来人間というものは誰かと一緒に食べた方が食も進みますし良い面も多いと思うのですが、こと介護に関してはそうとも言えないというのが実際の所です。

私の場合は、三食とも要介護者(父)と一緒に食べていましたが、食事時間以外で意識的に自分の時間を必ず作っていました。

更に週末限定で自分にご褒美の時間も設けていまして、これらの事を父が亡くなるまで続けました。

終わりの見えない介護生活の中では、心にゆとりを持つことが何より大事ですから、自分を犠牲にしてまで一緒に食べることはありませんし、時にはコンビニ弁当の日があっても良いのではと思います。

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