一般のニュースではあまり流れないのですが、老人向けの施設で食べ物を喉に詰めて亡くなる事故は全国でそれなりに発生していると思います。
そうした事故で亡くなった方の遺族が施設を訴えるケースが時々ありまして、その判決は私の知る限りでは全て施設側に責任があるといった判決ばかりです。
民事訴訟ですので、施設の誰かが逮捕されるといった話しではありませんが、お年寄りを預かる施設が、食事中の喉詰め事故に過剰に神経質になるのはこうした背景があるからです。
つい先日もそういった訴訟の判決を目にしたのですが、やはり施設側の敗訴となっていました。
こうしたニュースを目にする度に、生きる事と食べる事の意味を考えずにはいられないのですが、生きる事はつまり食べる事であり、食べる事が生きる事だという当たり前の結論に行き着きます。
医療関係者の方には怒られるかもしれませんが、誤嚥や喉詰めの可能性が高い方であっても、本人が望むなら口を使った食事を続ける事が、その人にとっての「生」を全うする事ではないかと思います。
安全だからと本人の意思を無視する形で安易に経管栄養に切り替える事は、その人の生きる意欲、つまり心を殺してしまってはいないだろうかと、私などは思ってしまいます。
残される家族の方達も、本人が望んで口から食べ物を食べ、結果的に喉詰め事故を起こして死亡したとしても、それを不幸な事故と捉えるのか、人生を生ききったと捉えるのか、ここは普段から考えておく必要があるのではないでしょうか。
こうした事は人それぞれの哲学であったり宗教観なども関係するデリケートな部分ですから、正しい正しくないの話しではありません。
ただ、どういった最後であれば納得出来るのか、あるいは出来ないのか、ここをちゃんと考える必要があると思います。
その上で施設の方にも自分たちの考え方をしっかりと伝え、介護にあたっていただく事が家族の大切な役割だと思います。
施設の介護士さんも、預かるお年寄りの家族さんとコミュニケーションがあるのと無いのとでは対応が違ってきます。
施設を訪れる際には、必ず担当介護士さんと何かしらコミュニケーションを取って話しやすい雰囲気作りを心がけていただければと思います。
そうすることで、間接的に施設で世話になっているお年寄りをサポートする事にも繋がります。
どうせもうすぐ死ぬと言ったら身も蓋もない話しになるのですが、死ぬことは誰にとっても避けられない現実なわけですし、だったら納得出来る最後を迎えることが本人にとっても家族にとっても幸せな事だと思います。