介護の沙汰も金次第 その2

今日の記事は前回の続きです。

前回、今の介護保険のしくみの問題点として「介護の沙汰も金次第」になってしまっているとお話ししました。

今のしくみでは、介護事業者も収益を上げなければ続ける事が出来ず、結果全てをお金になるかどうかで判断せざるを得ない状況が生まれてしまっています。

この仕組みだと、自己負担サービスをいとわない富裕層はお金も時間も気にせずに充分なサービスを受けられますが、お金に余裕のない層の利用者は自分の要介護度に応じた保険内サービスしか受けられません。

つまりこれは仕組みが間違っています。

そこで、こうした社会を選択したのは私たち自身だと言うことをまず反省した上で私なりの提案をしてみたいと思います。

まず、介護を担うのは民間の介護事業者だという今の前提を変えましょう。

かつての様に家族が介護を担えない核家族社会では、地域で担うのが本筋です。

その為に、その地域に住む人で条件を満たした方全員に一定期間必ず地域の介護に従事するという取り決めを作ります。報酬については必要経費以外は原則ボランティアです。

介護の質を担保する為、ボランティア人数の確保や技術の習得については地域の自治体が責任を持ちます。その為に現在の介護福祉士の資格保持者を公務員として雇い入れるのもアイデアですね。

その上で介護が必要になれば住み慣れた地域の施設で地域の人に介護していただく。

あるいは自宅に訪問してもらい介護サービスを提供していただく。

現状の民間事業者による介護保険サービスを原則廃止して地域住民でのボランティア主体の公的サービスに移行し財源は現状の介護保険とすれば、少なくとも利益優先の弊害はなくなります。

これらの事を行う上で最も大事になってくるのが「教育」です。

どういう事かというと、核家族という選択肢を選んだ社会では必ず人生の最後にこうした問題に突き当たることは目に見えているわけですから、その為には必ず「助け合い」が必要になってきます。つまり昔の様に「お互い様」を当たり前にする必要があります。

しかし戦後我々は競争社会に勝ち抜くことが最も大事な事だとしか教わりませんでした。

お金であれ名誉であれ肩書きであれとにかく人より多くを所有することが立派なことだと背中を押され、その価値観に馴染めない場合は負け組としての人生を強いられているのが今の社会です。

ですからこの根本的な価値観を捨てなければなりません。

人生で本当に価値あることは物的な豊かさではなく、精神的な豊かさと自立と献身であるという価値観に変えていく必要があります。

子供の頃からこうした教育を行うと同時に、地域住民が積極的に近隣に暮らす人々の安心出来る老後に関与する仕組みを作る事が出来れば、とても素晴らしい社会になると思うのですが、いかがでしょうか?

もちろんそんな事、革命でも起きない限り無理なことも分かっているのですが…。

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