「洋食は足し算の料理、和食は引き算の料理」という言葉があるのをご存知でしょうか?
家庭では引き算的な事はあまりやりませんので実感が湧かないかもしれませんね。
洋食に限らず、料理というものは必ず材料に対して「味つけ」をするわけですから基本的には全部足し算です。
そして一度「足し算」してしまったら、もうそこから引くことは出来ません。
醤油を入れすぎたからと言って修正するのに一度入れた醤油だけを抜き取ることは不可能です。
どうしても醤油の入れすぎを直したければ水を足して味を元の位置まで戻す以外に根本的な修正方法はありません。料理というものは基本的にこの「足し算の法則」で全て成り立っています。
ところが和食だけは、そのノウハウの中に「引き算」が存在します。
例えば「湯引き」という技法があります。煮魚などを作る際に、サッと湯通しして表面を洗う方法ですが、これを和食の職人さんは肉に対しても行います。
私は洋食のコックをしていましたので、介護施設の厨房で初めて和食の方と一緒に仕事をして肉を湯通しするのを見た時に結構驚きました。
洋食ではこうした事はまずやりません。肉も魚も一度下茹でして、それを更に水で洗うという発想自体がないと思います。
これは和食の考え方に「雑味を取る」という考え方があるからで、本来は旨味に相当する部分も大胆にそぎ落とした先に、素材本来の味が見つかるという独特の感性があります。
この「雑味を取る」という考え方は結構広く日本人に根付いていて、お酒造りの現場でもお米を精米の過程で半分くらいまで磨いで捨ててしまう事をやります。
この度合いが高ければ吟醸酒となるわけですが、「もったいない」の思想を持つ民族でありながら、こうした事を伝統的にやるのが日本の不思議な部分ですし、世界的に見てもユニークな部分です。
これは日本の自然が本当に豊かで、素晴らしい「水」に恵まれていたからだと個人的には考えています。
魚や肉にしてもお米にしても、その素材の奥の奥に隠された微妙な味を感じる感性が日本人にはあるからこそ、雑味を排してその奥の味を感じようとするのだと思います。
日本独特の繊細な文化というものはこんな所にもあるのだなと思います。