老人ホームなどの施設で介護士さんと話しをしていると、時々「どうせ分かってないんだけどね」という言葉を聞くことがあります。
これは介護する側が気を使って色々な事をしてあげても、介護される本人は認知症や様々な症状が進んでいて、自分がされている事が分かっていないという意味です。
私はこの言葉を聞く度にいつも強い違和感を抱きます。
人間という生き物は、五感だけで生きているわけではないと思っていまして、特に老化や病気などで、「五感」が衰えた状態の人ほど、逆に五感を超えた部分の感性が鋭くなるのではと思っています。
私には実はこんな経験があります。30代の頃、大怪我をして全身麻酔の手術を受けました。
手術は無事に終わり、私は大部屋の病室に戻されたのですが、まだ麻酔が微妙に効いている状態で、何だかいつもと違う感覚の中にいました。
そのうちに消灯時間となったのですが、まだその感覚は続いていました。
その時です。かなり近くで人が話す声が聞こえたのですが、消灯後の病室です。
そんな近くには誰もいるはずもないですし、実際に居ませんでした。
でも確かに女の人が話す声が聞こえたんです。不思議な事もあるものだと思いましたが、その時の私は体のあちこちにチューブが繋がっていて自力で起き上がることも出来ませんでしたので、声の主を確かめることも出来ず、そのまま寝てしまいました。
ただそれだけの経験なのですが、この時は体の自由を制限された状態でしたので、五感の中でも聴覚が普段より研ぎ澄まされていたのではないかと今では考えています。
寝たきりのお年寄りにも同じ事が起こっていると私は信じていまして、例えば医学的には聴覚を失ったとされる人でも、こちらが伝えたいことが聞こえないなりに、分かっているのではと思っています。
少なくとも、こちらが愛情を持って接しているのか、それとも嫌だなと思って接しているのか、その程度の感情は伝わっているのではと思います。
冒頭の介護士さんの例だと、どうせ分かっていないからぞんざいに介護するのか、分かっていなくても伝わっていると信じて優しく介護するのか、この違いは大きいと信じています。
だからという訳でもないのですが、私は家庭でも職場でも、料理を作る時に「美味しくなあれ」のおまじないをよく使います。
やり方が決まっている訳ではないのですが、最後に塩を一振りするときとか、スープを一混ぜする時などに、食べる人の事を思い浮かべながら心の中で「美味しくなあれ」とつぶやきます。
アラ還のジジイが厨房でそんなことをやっている図は相当不気味かもしれませんが、このおまじないが料理を美味しくしていると私は信じていますし、このおまじないが私自身をとても優しい気持ちにさせてくれるのは事実なんです。
そしてその気持ちや感情が、料理を介して食べる人に伝わっていると信じているのですが、その思いは歳を取るほどに強くなっています。