介護の後悔先に立たず

私が父を実家で介護していたのはほんの1年半ほどなのですが、その間、実に色々な事がありました。

私にとって実家での父と二人の介護生活というものは何から何まで初体験と手探りの連続でしたし、ようやく精神的な部分で真正面から父の介護に向き合えるようになったと思ったら、まさにそのタイミングであっけなく父が亡くなり介護生活は終わってしまいました。

朝起きていつも通り父の様子を見に行った時に、すでに亡くなっている事に気づいたのですが、不思議なものでその日に限って何となくもう亡くなっているのではないかと思いながら父の様子を見に行ったことを覚えています。

それからしばらくの間、多分30分間くらいだったと思うのですが、父の横でぼーっとしてから掛かりつけのお医者さんに電話したのは覚えています。ただ、その後の様々な細かい事は実はあまりよく覚えていません。

親戚の家と当時離れて暮らしていた私の家族に電話したはずですが、電話で話した内容も誰と話したのかもハッキリとは覚えていません。

通夜に始まり葬儀の段取りなど色々と私一人でこなす必要があったため、悲しむ暇も無く雑務に忙殺されていたように思います。

私の実家はたいそうな田舎にありますので、葬式ひとつするにしても親戚は勿論の事、ご近所さんとの色々な打合せや段取りが都会のそれとは比べものにならない程ややこしいので、村の役員をしている人に父が亡くなったことを知らせる必要もありましたし、村の習慣で亡くなったその日のうちに村の役員に私の実家に集まってもらい葬儀の段取りを打ち合わせする必要もありました。

それまでに葬儀の会場をどこにするか決めておく必要もありましたし、今思い出してもよく無事に段取り出来たと思います。

田舎での葬儀は、遠方からの参加者も多いのでその方達に泊まっていただく宿の手配も必要でした。

多分私が宿に出向いて色々とお願いしたはずなのですが、その辺りのこともあまり覚えていません。

と、まあそんなこんなで介護生活は終わりを告げたのですが、その介護生活を振り返って、今でも後悔している事がひとつあります。

それはまだ私が介護生活に不慣れで、実家で仕事もしながらの介護生活で精神的にいっぱいいっぱいだった頃の話しです。

私の部屋はトイレの隣にありまして、父もまだギリギリ自分でトイレに行けてた頃でした。

ある日私がようやく布団に入ってウトウトし始めた時に父がトイレにやって来ました。

いつもの様にトイレを済ませて出て行くのだろうなと寝ぼけながら思っていましたら、突然トイレの中から大声で私を呼び始めました。

所がその時の私はとても疲れていて、ようやく布団に入ってウトウトし始めたというのに大声で呼びつけられてとても腹が立ってしまいました。

それで寝ているふりをして無視していたら、しばらくガタガタ何やら音をさせていましたが何とか自分の部屋に戻った様でした。

私はほっとしてそのまま寝てしまったのですが、翌朝起きてみたらいつもは私が行くまで寝ている父が自室から四つんばいで這って出てきて「体がおかしい」と訴えます。

何と昨日まで手摺りを伝って歩けていたのに歩けなくなっていましたし、自力で立つことも出来ませんでした。

驚いて医者に連れて行ったのですが、軽い脳梗塞を起こしていました。

たまたま軽い症状だったから良かった物の、私が無視したせいでそのままトイレで動けなくなっていた可能性もあった訳ですし最悪死んでいたかもしれません。

さすがにこの時には自己嫌悪に陥りましたが、実の親というのは関係が近いだけに余計に腹が立つこともあります。これが他人や義理の家族であれば恐らく起きて様子を見に行っていたでしょう。

この時を境に父の要介護度はどんどん上がって行ったのですが、あの時すぐに様子を見に行ってそのまま医者に行っていたとしたら、父はもっと長く元気でいられたのではないかと今でも考えてしまいます。

後悔先に立たずとはこの事ですが、介護生活はほんのちょっとしたことで健康も、命までも左右されることがあります。

現在、在宅介護生活をされている方には後悔のないようにしてほしいと願わずにいられません。

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