私の母は74歳で亡くなったのですが、今の世の中的には早死にの部類だと思います。
ちなみに姉は60歳で亡くなっており、これはもう完全に早死にです。
二人とも死因は内蔵のガンでした。母は大腸で姉は膵臓です。
実はこの二人に共通するのが、食べるモノにやたらこだわりがある事でした。
特に「健康に良い」という食品の情報をテレビや雑誌で見かけるととにかく試してみるタイプで、それが気に入るとしばらく続けるのですが、新しい健康情報に触れると今度はそっちに…といったタイプの人達でした。
この二人に限らず、こういったタイプの人達には共通の特徴があるのですが、それは感性を無視して「頭で食べる」という事です。
人間も動物ですから、自分の体に良いモノか悪いモノかは、それを口に入れた瞬間に直感的に感じる場合がありますが、その直感を無視して食べ続けてしまいます。
一方で、私の父も祖父も84歳まで生きました。
こちらはそれなりに長生きしたと言ってもいいかと思いますが、二人とも好きなモノばかり食べて飲んでといったタイプの人でしたので、結果的には「健康に良い食品」に無頓着な方が長生きしたという事になります。
こうした例は他にも色々見聞きするのですが、先日読んだ本にも同じ様な事が書かれていました。
その本の著者はインド人の女性で、家族で香港に移住して暮らしていた時にガンに罹ってしまい、それも一度医師から臨終を告げられた後に生還した、いわゆる臨死体験を綴った本だったのですが、そこにガンに罹る前の食生活の事が結構詳しく書かれていました。
この方はインド人に多いヒンズー教徒で、ベジタリアンでした。
その上、食べるモノには細心の注意を払うタイプで、同じ野菜でも無農薬しか食べないとかお茶にしても安全だと確認出来る茶園のものしか飲まないとか、とにかく食に関しては「完璧主義」を貫く生活をしていたそうです。
しかし結果的にガンになり、しかも医師からも見放されるほど症状は悪化し、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダで一時的に症状が改善したものの、結局病魔に負けて一度は死んでしまったわけです。
それで一度あの世に行って戻ってきて、現在は健康に暮らしているのですが、では現在の食生活はどうかと言うと、かつては食べたくても我慢していたアイスクリームを好きなだけ食べ、肉や魚も気が向けば食べ、要するに頭で考えて食べる事をやめてその日その時に食べたいと思ったモノを食べる生活に変えたそうです。
そして今では人生で最も体調の良い時間を生きていると書かれていました。
私の身内の例も、このインド人の女性の例も、結局「病気になるかもしれない」という恐怖心から逃れるために健康情報を求めたり無農薬野菜にこだわったりしているわけです。
つまり食べる事の出発点が「恐怖」から始まっているのが共通しています。
もちろん健康に留意するのは結構な事なのですが、それが為に毎日の食事から楽しさが抜け落ちてしまっては本末転倒です。
やはり食事というのは一番に「喜び」からはじめ「感謝」に終わるのが正解なのではと、しみじみ思った次第です。