無表情の奥にある心

人間の五感の中で、最後まで残るのが聴覚だと言われています。

たとえ見えなくても話せなくても動けなくても、命の火が燃え尽きるまで「耳」は役割を全うするといいます。

実はこの事については、個人的な体験も含めてあまり一般的ではない考え方を個人的に持っています。今日はその事に触れつつ、施設での介護で気をつけるべき点について少し書いてみたいと思います。

私は子供の頃からいわゆる不思議な事が大好きでした。超能力やUFOやお化けなど科学で説明出来ない話しを聞くとワクワクして仕方ありませんでした。

大人になってもその性格はそのままで、特に臨死体験などの人が死んだらどうなるのかという事に関しては、科学的に証明出来ないことが分かっているにもかかわらず、そうした内容の本をまさに乱読して今に至ります。

中でもエリザベス・キューブラー・ロス博士の一連の著作は、若かった私の心に砂が水を吸うように入ってきました。

勿論、人の死を単なる物理的な現象と捉え、死=無と考える事を非難しているのではありません。

ただ、ロス博士が言うように人は魂の存在で何度も生まれ変わると考えた方が、日本的仏教的な価値観とも通じるモノがありますし、個人的にも納得がいくだけの話しです。

そんなわけで、何かしら超常的な現象や体験をそのまま疑わずに受け入れてしまう悪いクセが私にはあるのですが、ここでちょっと個人的な体験の話しをさせて下さい。

私は若い頃、20代後半に大怪我をして全身麻酔の手術を何度か経験した事があります。

その時の体験です。

4時間以上に及んだ手術も無事に終わり病室に戻されたのですが、病室のベッドで医師や看護師さんに無理矢理覚醒させられ会話をしたのを覚えています。

しかし麻酔がまだ抜けきっていなかったのか、意識がいつもの感じではありませんでした。

特に「音」の聞こえ方が何か変だなと感じながら消灯の時間となりました。

暗い病室で眠るでもなく何となく夢を見ているような心地でボーッとしていたのですが、何故か、私の病室からは遠い場所にあったナースステーションでの看護師さん達の会話がハッキリと聞こえていることに気がつきました。

普通に考えて私の病室から聞こえるはずのない会話を私は確かに聞いていたんです。

もしかして誰かがナースステーションのマイクを入れっぱなしにしていたのかもと、後から考えたのですが、そういったスピーカー通しの聞こえ方では無く、とても自然な聞こえ方でした。それこそすぐ隣で話しているような。

体験としてはたったこれだけのことで、オチがある話しでも何でも無いのですが不思議な出来事だったと今でも思います。

ここで冒頭の聴覚の話しになるのですが、手術直後の私はまさに聴覚以外の体の機能がほとんど使えない状態でした。そんな状況なのに遠く離れたナースステーションの会話を確かに聞きました。

こんな事は、要介護のお年寄りでも起こっているのでは無いかと私は考えています。

認知症が進み、顔の表情を無くしたお年寄りや聴力が衰えて問いかけに無反応なお年寄りに対して、どうせ分かっていないし聞こえていないからと、心ない言葉を発してしまう介護士さんを時々見かけます。

しかし実際には聞こえていて内心では傷ついているのでは無いかと思うのですが、どうでしょうか?

逆に、聞こえていないだろうと思いながらも優しい言葉がけをしている介護士さんもいらっしゃいます。

人と接する仕事は「心」を無くしては出来ません。それは介護に限らずです。

日々忙しくしているとついつい忘れがちになる事ですが、自戒の気持ちも込めて書かせていただきました。今日はこの辺で。

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