老老介護の未来図

マスコミで老老介護という言葉がセンセーショナルに取り上げられたのはいつだったでしょうか。あれから随分と時間が経過しましたが、今では老老介護はごく普通の風景となっています。

これはこの先時間が進むにつれて改善するといった話しではないですし、超高齢社会を生きる我々にとってはごく普通の日常的な風景となります。

高度経済成長の時代に人口が都会に集中し、家族構成が核家族化した時からこうなることは目に見えていました。

私は普段、高齢者向けの介護施設に出入りしていますが、今では施設を利用しているお年寄りを介護する介護士さん達にも多くの高齢者がいます。

自宅では老老介護で辛いからと施設に預けても、結局そこでも老老介護だったという風景は既に日常です。

こうした事はもう避けられない現実ですから、これからの社会は「元気な人が不自由な人を年齢に関係なく面倒を見る」という風に考え方を切り替える必要があると感じます。

老老介護の反語でもないのでしょうが、ヤングケアラーという言葉もマスコミを賑わせました。

本来は勉学に励むべき年齢層の人達が介護を担う現実を言ったのだと思いますが、これについては、今に始まったことではありません。

都会で生まれ育った方にはピンとこないかもしれませんが、田舎の農村部では、自宅に要介護の年寄りがいる場合は、学校から戻った子供も一定程度介護に参加していたものです。

私の同級生で両親を早くに亡くし祖父母に育てられていた友人がいたのですが、彼などはまさにヤングケアラーとして介護をしながら学校にも来ていました。

ただ、田舎の場合そうした状況をご近所さんがちゃんと見ていてそれなりにフォローもしてくれましたので何とか暮らしていけたのだろうと思います。

そんな風に考えると、人というのはやはり地域の人達とは最低限の繋がりは持っておかなくてはいけないなと思います。

最近は集合住宅で暮らす場合に、自宅の表札を出さない人が増えています。

私も集合住宅に暮らしていますが、上の階の人も下の階の人も、更にはお隣の人も表札を出していません。

引っ越してこられたときに挨拶に来られて、お名前はお聞きしているのですが、それも時間が経てば忘れてしまいます。

個人情報を知られたくないといった社会の風潮なのでしょうが、私はこの風潮には反対です。

超高齢社会が進み、老老介護が当たり前になるこれからの世の中では、助け合いこそが快適に暮らすための保険になります。

この先の未来が「お互い様」の精神を忘れた世の中になるとするなら、随分と暮らしにくいギスギスした社会になると思わずにいられません。

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