私はほぼ毎日スマホのアプリで日記を付けています。10年間分の日記が付けられるアプリで2014年から使っています。
実はこの2014年という年は私の父が亡くなった年で、父の介護をしながら防備録的に日記を付け始めました。介護日記的に書き始めましたので、当初はほとんどが父の様子と朝昼晩何を食べさせたかだけを記していました。
ところでこのアプリ、立ち上げると同じ日付の過去の日記も表示されます。例えば5年前の同じ日に書いた日記がその場で確認出来るわけです。
そのせいで、今でも毎日日記を付ける度にかつて父に何を食べさせていたのか確認するはめになります。
父がまだそれなりに元気だった頃は好物の「うなぎ」だとか「天ぷら」を食べさせていた記録が残っているのですが、亡くなる2〜3ヶ月前位からは朝食と昼食はほとんど同じ物になり、夕食だけ少し変化を付ける感じの食事になっていて、今頃になってもっとちゃんと食べさせてやれば良かったと後悔する事が多いです。
ちなみに父が亡くなる前の晩に食べさせたメニューは、「味噌汁」「茶碗蒸し」「おにぎり」となっています。「茶碗蒸し」はスーパーで売っている出来合のやつです。
これが私の父がこの世で食べた最後の食事になりました。この頃はもう体調も悪くて要介護4の状況でしたし、食欲もほとんどありませんでしたので食事は一種のセレモニーみたいなもので、とりあえず一日を終わらすためのイベントに過ぎなくなっていました。
この日の夜寝る前に「そろそろ一人で介護するのは無理になってきた。明日ケアマネさんに相談しよう。」と考えていた事を今でも覚えています。そしたら翌朝ベッドの中で亡くなっておりました。父なりに子供に迷惑掛けずに気を遣って旅立ってくれたのだなと当時感慨深く思ったものです。
ところで私がお食事の仕事をさせていただいた高齢者住宅では、当然その施設で亡くなる方もいらっしゃいました。そうすると、その方が最後に口にされた食事は我々が作って提供したものになります。高齢者に食事を提供すると言うことは、もしかしたらその人にとって人生最後の食事になるかもしれないものを提供している事になるわけです。
そう思うと、一回一回の食事の提供をおろそかに出来ないなと思うわけですが、これはご家庭であっても同じ事。贅沢な事をする必要はありませんが、気持ちだけは込めて食事を作りたいと思う今日この頃です。