食べたい物を食べられる幸せ

「形態食」と言う言葉をご存知でしょうか。

これの反対の意味を表す言葉は「常食」あるいは「通常食」と言いまして、介護や看護の界隈で使われる通常ではない食事形態を指す言葉です。

形態食にはいくつか段階といいますか種類がありまして、「一口食」から始まり「刻み食」や「極刻み食」など段々と小さくなっていって最後は「ミキサー食」となります。

この種類は特に決まり事があるわけではなく、施設によって適当に決められていて呼び方も形態も様々です。

例えば「ミキサー食」の事を別の施設では「ムース食」と言ったりしますし、同じ「刻み食」でも施設によって刻む大きさに違いがあったりします。

ある施設では豆粒くらいの大きさに切ったものを刻み食と呼ぶかと思えば別の施設では米粒くらいの大きさでないと刻み食にならなかったりします。

どんな形の「形態食」であっても、これを食べるお年寄りは皆さん普通の大きさや硬さの食べ物を食べることが出来ない状況で残りの人生を生きていることになります。

私が介護食に興味を持ち、施設の厨房で働かせてもらうようになったのは自分の父を介護して看取ってから以降なのですが、もし父を介護している時にこうした「形態食」について少しでも知識があれば、もっと食べやすくて美味しい食事を作ってやれたのにと今になって思います。

私が介護を始めた当初は、自分が元々プロのコックさんでしたから食事の世話については全く心配していませんでした。

しかし実際に世話を始めてみると、やはり硬い物は食べにくそうにしていましたし、箸を細かく使わないと食べられないタイプの料理も無理な様でした。

ただ、父の方から食べにくいから刻んでくれとか焼き魚の骨を外してくれといった様な要望は一切ありませんでした。

普通に出された食事を食べてみて、無理ならそのまま諦めてしまうのが父の流儀だったと思います。

これがもし母が生きていて世話をしていたなら刻んででも食べさせたろうと思いますが、当時まだ若かった私はそこまで気が回りませんでしたし、父も私にはそうした事は言いたくなかったのかもしれません。

当時の私の頭の中には「通常食」以外の食事形態は存在していませんでしたので、せっかくキレイに盛り付けた料理をわざわざ崩して刻んだりする「形態食」など考えもしませんでした。ただ、好きなはずなのに残していたりすると自分なりに対処方法を考えたりはしていましたが…。

そう考えると、人生において食べたい物を食べたいように食べられる事がいかに幸せな事か、しみじみと感じますし、日々の食事をありがたいと思わずにはいられない気持ちにさせられます。ちょっと気づくのが遅かったかもしれませんが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です