私が子供だった頃、昭和40年代の話しですが、70歳と言えばもうかなりの年寄りだという認識でした。定年が55歳だった頃の話しです。
しかし今の70歳はどうでしょうか。周りの認識も本人の自覚もまだまだ若いといった感覚ではないでしょうか。
年金の支給に関しても国は70歳以降にしたくて仕方がないようですし…。
昔の年寄りに比べて今の年寄りの方が、見た目も実際の体力も若々しいのは事実です。
ただ、自分がその年齢に少し近づいてきて、より強く思うようになったのですが、内面といいますか、精神的な成熟度は昔の年寄りに比べてまったくダメだと感じます。
これは社会全体の精神性が子どもじみてきたとも言えると思うのですが、昔は広く共有されていた常識の様なものが様変わりしたとも言えます。
例えば、私が子供の頃には「いい歳してみっともない」といった恥の文化がありましたが、そうした恥の文化がどんどん希薄になってきた気がします。
「お天道様が見ている」といった、自らを律する感覚とでもいいましょうか。
まあ、好き嫌いは色々あるとは思いますが。
それともうひとつ、今後要介護になっていく予備軍のお年寄り達の多くが核家族で育った世代になっていくと、間近で人間が年老いて行く様を見たことのない老人ばかりになります。
これも何だか怖いことだなあと思います。
老人に日常的に接したことや一緒に暮らしたことがない人が老人になる社会が出現するわけですが、そういう人達が目の前の年老いた家族を介護したりされたりする社会になるわけです。
時々ニュースで見かける老老介護の問題などはこうした状況があって生まれてきた様な気もします。
状況としての老老介護は昔からあったと思うので、今になってその状況から悲しいニュースが生まれてくるというのは、こうした事も関係している気がしてなりません。
こんな事を書くと、昔は報道しなかっただけという意見が聞こえてきそうですが、例えばおじいさんがおばあさんの介護を続けていく事が出来ずに殺してしまう事件があったとして、その手の事件は昔の方が希少価値がある分派手に報道した様に思います。
そうするとやはり昔の老人は、介護する事で自分が辛くなっても精神的に持ちこたえる強さがあったと思えてきます。
しかし今の「核家族出身の年寄り」は目の前で人が老いて行く姿を見て成長していないので肌感覚として老人の扱いが身についていませんし、精神的に未熟なので自分が辛ければ我慢できずに目の前の原因を消去してしまう。
そんな気がしてならないのですが、考えすぎなんでしょうかねえ。