お年寄りの孤独と孤立

核家族世代がどんどん歳を取り、近年は独り暮らしのお年寄りが孤独死するのはごく日常的な事となってきました。

私も60歳を目前に控えて独り暮らしの身ですので、このままだと普通に孤独死する確率が高いなと思っています。

ただ、その事を寂しいとも思いませんし何とかしてそれを回避しようとも思っていません。

ただ、社会から「孤立」した状態で死んでいくのは無いようにしようとは思っています。

人間は生まれるときも死ぬときも結局一人ですし、自分の命が尽きるときに、側に誰かがいてくれる事がその人にとって良い死に方なのかは状況によって変わる事です。

そうであれば孤独死を怖れたり忌み嫌う理由は私にはないように思えます。

ただし、社会から「孤立」する事は誰にとっても辛いことではないかと思いますので、そこは努力して避けることが人生の最晩年を充実させることにもつながると思っています。

独り暮らしをしていた父を介護するために、私が実家に戻ったときに、父がぽつりとつぶやいた言葉が今でも忘れられないのですが、父はこんなことを言いました。

「お前が戻ってくれるまで、一日中誰とも合わず誰とも話さずに終わることが多かった」と。

それを聞いた瞬間に私は本当に可哀想なことをしてしまったと思ったのですが、父の場合、まだ体力があった頃は趣味の囲碁を打ちに町内の碁会所に出向いたりしていましたのでギリギリ社会と繋がっていました。

ところがそれもしなくなり、一日中家に引きこもって朝から晩までボーッとテレビを見て過ごすようになってしまい、その頃からどんどん体調も悪くなって行ったようです。

私がもっと気に掛けておけばよかったのですが、実家まで車で片道3時間の距離がありましたし、私も父も男ですから、よほど用事がなければ電話もしません。

結果的に父からSOSが出るといった事態になってしまいました。

こうした経験もあり、私は「孤立」と「要介護」はとても関連があると思っています。

要介護になるのが先か社会から孤立するのが先かというのは中々難しい問題ですが、この両方が微妙に関連し合ってジワジワと要介護の状態に近づいて行き、結果的に「社会的孤立」と「要介護状態」が同時に完成してしまう場合もあるのではないでしょうか。

だったらそうならないために何が出来るのかですが、やはりすぐに連絡が取れる近所の人と友達になっておくのが一番良いのではと思います。

特に都会で暮らす男性はその事を心がけておかないと、女性と違って近所づきあいもそんなにないでしょうし、仲の良かった会社の同僚も定年後時間が経てば徐々に疎遠にもなります。何か困った事が起こっても、一体何処の誰を頼って良いのか分からない状態になったとすれば、それは立派な「社会的孤立」と呼んでいいのではないでしょうか。

たとえ自分の息子や娘がいたとしても、すぐに様子を見に来てくれる距離に住んでいなければ、いざという時には頼りになりません。

自分の最後の時間を豊かなものにする為にも、最低限社会との繋がりを持っておくべきだと改めて思う今日この頃です。

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